人は、生きる為にどれだけの罪を重ねれば気が済むのだろう・・・―――。









闇の中、静かに波の音が木霊する。

「なぁ、長恨歌って知ってるか?」
「白楽天の詩ですね。それがどうかしましたか?」

堤防沿いに止められた車に寄りかかりながらぼーっと海を見つめていた高耶が、ふと思い出したように尋ねた。

「俺さ、中坊ん時は授業なんてほとんど出てなくて、あんまり授業の内容とか覚えてなかったんだけどさ、何でかこの詩だけは妙に覚えててさ・・・」
「『天に在りては願わくは比翼の鳥となり、地に在りては願わくは連理の枝とならん』ですね」
「そうそれ」

小さく頷きながら、楽しそうに高耶は笑った。

「初めて読んだ時は何で殺される元凶となった男にそんなこと言えるんだ、って意味分かんなくて、腹たったりもしたんだけどさ、」
だけど、と呟くと高耶は切なげに微笑した。

「けど、だんだん・・・・・羨ましくなった」

遠くに光る灯台の明かりが、静かに海を照らす。
「・・・現世でまっとうできなかった恋に対する二人の長い恨み辛みの歌」
夜風に波の音が混じる中、静かに高耶は呟いた。

「そのはずなのに・・・、俺には羨ましくてしかたがなかった・・・。来世でも会いたいって思う奴がいる。死んでからも自分を思ってくれる人がいる。それの何が不服なんだよって、今度はまた腹が立った」
そう言って可笑しそうに笑う。けれど、その瞳はどこか寂しげだった。
「楊貴妃は・・・玄宗を恨めるような立場なんかじゃねぇんだよ。搾取されたのは玄宗だ。引きつけて、自分だけを見せて、そして死後も縛り続ける」

ひどい暴君だ、と呟くと高耶は皮肉気に嗤った。

「『長恨歌』って言うのは、玄宗の楊貴妃に対する思いだ。楊貴妃に出会ってしまったせいで失った信頼や人生を嘆く玄宗の思い。きっと玄宗は楊貴妃と出会ったことを後悔している。楊貴妃を・・・・恨んでいる」
「・・・・・違いますよ」
それまでじっと黙って高耶の言葉を聞いていた直江が、ふわりと微笑しながらそれを否定した。
「玄宗は・・・楊貴妃を恨んでなんていませんよ。彼は彼女に出会えたことにきっと何の後悔もしていなかったでしょう」
やけに穏やかな声だった。
「なんでそんなこと分かるんだよ」
「分かるんですよ、俺には。きっと彼は後悔なんて何一つしていない。楊貴妃を恨むことなんて絶対にありえない。・・・けれど、彼女の死後は後悔したかもしれませんね。自分自身の不甲斐なさに」
「・・・・・っだめだ!」
叫ぶように高耶は否定の声を上げた。
「駄目だっ!それじゃ駄目なんだよ! 玄宗は怒っていいんだ! 楊貴妃を責めて、忘れていいんだ!!!あいつなんていなかったら良かったのに、って罵ればいいんだ!そうしないと、」

瞳を伏せぎゅっと眉根を顰めると、吐き出すように高耶は呟いた。

「きっと・・・玄宗の悲しみでさえも楊貴妃は喜ぶ」
「・・・・・・・・」
「最低な奴だ。愛してほしくて仕方がなくて、自分のことしか考えてない」
だから殺されたんだ・・・と呟くと、嘲るように高耶は小さく嗤った。
「・・・・・・・・それでも」
高耶の言葉を打ち消すように、直江が口を開いた。
「それでも・・・それが彼女が望んだことなら彼はきっと喜んだと思います。例え利用されていようとも、いえ、利用されることにすら喜んだ。その相手に自分を選んでくれたことに。罰せられるべきは彼の方だ。彼はきっと優越感に満たされていた。民が飢え、政治が滞り国が傾こうとも、彼女の視線を、思考を、その全てを自分に向けれることに」
「・・・・・・・・最低な二人だな」
直江の言葉を受けて嘲るように高耶は笑った。
「自分のことしか考えていない」
「そうです」

波の音が静かに夜の闇の中響き渡る。闇と海との境目を、高耶は見つめた。
灯台の明かりが、所々漆黒の海を照らしだす。

「・・・・・・それでも」
浮かべていた笑みを消すと、高耶は瞼を伏せた。
「それでも、愛されなくては生きれないんだ・・・。もう偽善者にだってなれやしない。貪欲に愛 情を求めて、愛されたくって仕方がない。・・・そうしないと自分の存在意味が分からないから。 自分が生きることを許せないから!」
吐き出すように叫んだ高耶の肩を直江は何も言わずに引き寄せ、力のままに抱きすくめる。

「・・・俺を・・・愛してくれ・・・・」

その胸に頭を預けながら、掠れた声で呟く。
それは今にも聞き逃しそうなほどの大きさで、そしてどこか祈りのような響きをもっていた。

答えの代わりに、直江はただ何も言わずにその背を骨が軋むほど強く抱きしめた。


「俺を・・・愛してくれよ・・・・」



たとえこの身が朽ち果てても。







08.11.30








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