厳海の波



北から吹く風が、容赦なく体を襲う。
それを避けるかのようにコートの襟を立てると、寒気でピリピリと痛む頬を覆う。

目の前に広がる日本海に、高耶はそっと瞳を細めた。

「こんなところにいたんですか。」

ふと背後からかけられた声に振り返ると、目に入った人物に高耶は思わず頬を緩ませた。

「直江。」
「一体どうしたんですか、こんなところで。」

強く吹きすさぶ風にコートをなびかせながら、その傍らに立つ。

「風にあたっていたら急に海を見たくなってさ。」

そう言って高耶は再び海を見つめた。その先に、もっと何か別のものを見るかのように。



「昔さ・・・・」


静かに海に見入っていた高耶が突如ポツリと零した。

「こうして、氏照兄と一緒に海を見たことがあったんだ。 二人で並んで。別に何か言うわけでもなく、ただじっと二人で海を見つめて・・・・・」


遠い昔のことが甦る。


いつも優しかった兄。自分が越後へ赴く時に、必死で涙を堪えていた自分をそっと抱きしめてただ一言、


「帰っておいでって・・・・・。」


無理だなんてことは分かっていただろうに、自分よりも少し大きなその背にいろんなものを背負い込んで言ってくれたその一言に、 今まで自分がどれだけ救われたか。

「何だかそんなことを急に思い出してさ。・・・・・・・じゃ、そろそろ帰るか。」

そう言って踵を返そうとした高耶の手を直江はさっと取ると、その握り締めた手の温度に思わず眉を顰める。

「どれだけここにいたんですが。こんなに冷たくなるまで。」
「・・・・・・・・。」

寒さげに竦められた首元に目を落とすと、直江は自分が巻いていたマフラーを外すと、それをそっと高耶の首に巻きつけた。

カシミヤの柔らかな感触が優しく頬を掠める。


「風邪をひかないように、気をつけて下さい。」


仄かに体温の残るそれを、ぎゅっと握り締める。


「もう少し見てから帰りましょうか。」


微笑を浮かべながら高耶の冷えた手を取ると、強く打ち寄せる波打ち際を二人で果てもなく歩き続けた。


静かに、強く打ち寄せる波に包まれて。


*******

荒れた日本海は寂しい。誰かの体温が欲しくて堪らないけれど、そんな優しさすら許してくれないような、厳しい感じがします。 一人でいることをまざまざと見せ付けられて、嫌でも孤独を自覚させられて、寂しい。
けれども、逃げられないような魅力がそこにはあって、どうしても見入ってしまうんですよね。




(07.5.14)