お兄ちゃんはツライよ





陽光眩しい日に、それはやって来た。


「グウェンダルっ!」


バンと勢いよく扉を開け、燃えるような赤毛を揺らしながらアニシナは椅子に座り仕事をしている幼馴染の元へと足を進めた。


「・・・・・・・なんの用だ。」


いつもより眉間に一本多く皺を寄せ、グウェンダルはゆっくりと視線を上げた。


「まったくあなたときたら、こんないい天気の日にまで部屋に篭って、じじくさいったらありません。 そんなあなたに今日は、いい物を持って来ました。」


一気にそう喋るとアニシナは懐から真っ赤な液体の入った小瓶を取り出した。


「難超(聴)回復☆ですっ!!」
「・・・・・・なんなんだそれは」
「ふふふ、良くぞ聞いてくれました。これは、高齢者が多い魔族にとって、今や難聴は一種の重病。 だけど、この難超(聴)回復を飲めば、 あら不思議、昨日までは「じいさんには何言っても分かんねぇ」、と言われていたのがきれいさっぱり無くなるという訳ですっ!!」
「・・・・・・・・・すまんがこれから、仕事があるので失礼する。」
「お待ちなさいグウェンダルっ!!」


椅子から立ち上がり、いそいそと部屋を出て行こうとしたグウェンダルの首根っこをぐいっと引っ張ると、アニシナはその耳元にポツリと呟いた。

「貴方の飼っているあの猫・・・・――――」
「ななななっ!!私の子猫ちゃんに何をするつもりだっ!!」
「あの猫に飲ませてみてもいいんですよ?」
「やややや、やめろっ!頼むからそれだけはやめてくれっ!!」

その言葉にアニシナがニヤリと微笑を浮かべる。

「ならば、貴方があの薬を飲むんですね?」

真っ青な顔でグウェンダルが薬を見つめる。思わず恐怖で喉がごくりと鳴った。


「飲むんですね?」


再び呟かれた言葉に弱々しくグウェンダルは頷いた。



++++++++++++++++++



「なんなんだこれはっ!!!」



――――はぁ、ギュンター様って洗濯物が多くって大変。



――――うぅ、母ちゃんぼかぁこのままでは軍曹殿に殺されてしまいます・・・・。



――――ねぇ、見たっ?!さっき陛下とコンラッド閣下がまた一緒に歩いていらしたわよ!



次々と耳に入ってくる言葉にグウェンダルは耳を押さえた。



――――やっぱりギュンター閣下に給料一ヶ月分賭けるのって無謀なのかしら



――――このままでは本当にぶなしめじを切り落とされてしまうっ!!



――――この前コンラート閣下の部屋に掃除しに行ったら陛下のあのキレイな漆黒の髪がベッドの中に落ちてたのよっ!!




「どんな感じなのです? ほらちゃんとしなさいっ!あなたの猫にも飲ませてしまいますよっ」


そういいながら両耳を押さえて呻いているグウェンダルの手を引き剥がした。


「どうなんですか?」
「あまり近くで喋るなっ!鼓膜が破れるっ!!」
「・・・・・・・・というと?」
「聞こえすぎるんだっ!!城中の声が聞こえるっ!!」
「ふむ。」



一人頷くと、アニシナは踵を返した。



「おいっ!ちょっと待てっ!これも失敗なのか?! 俺はどうなるんだっ!!」
「心配しなくとも、数時間経てば自然と直りますよ。私はこれからそれの改良の為に実験室に篭らなくてはなりません。 それでは。」
「おい・・・・・っ!!」



思わず手を伸ばしたが、無残にも扉は大きな音を立てて閉まってしまった。すぐさま耳を覆うが、遅く鼓膜が破れそうなほどの轟音が襲った。





「くそっ!これでは仕事ができんではないかっ!」
椅子に座りながらイライラと机を叩く。先程から聞こえてくるのは兵士や、メイド達の独り言や雑談ばかり。

ところどころに弟とあやつのことが出てきているのは気のせいだろうか?



「だめだっ!!」


耐え切れずに席を立つと、グウェンダルは人気の無いところを目指して部屋を出た。



++++++++++++++++


―――――――ここならばいいだろう・・・。―――――――



城のはずれにある木陰の元にヘタリと座り込むと、グウェンダルは耳を澄ませた。


聞こえるのはせいぜい、上空を飛ぶ鳥の鳴き声や、風で草の揺れる音くらいだ。

安心したように瞼を下ろし、背後の木にもたれかかる。



しかし、


――――・・・・ん・・・・っ・・・・・――――



突如聞こえてきた声に驚いて閉じかけていた瞼を勢いよく開けた。



―――やぁ、・・はっ・・・・・・――――



明らかに情事の最中だと分かる、荒い息遣い、鼻にかかったような甘い声。



「一体誰がこんな時間からっ!!」



そう憤り、人の情事を聞く趣味も持たない為、グウェンダルがその場を立ち去ろうとした瞬間。



――――コンラッドっ・・・・・・!――――



「・・・・・・・っ?!」
聞こえてきた名前にグウェンダルは目を丸くした。間違いなくそれは彼の弟の名前だった。



まさか、弟がこんな時間から女性を部屋に連れ込むなんて信じられなかった。
ましてや今は魔王陛下の護衛中ではなかったか?まさか弟が仕事をサボるとも思えないし・・・・。



だが、彼のそんな疑問は次の瞬間完全に払拭された。



――――キレイですよ、ユーリ・・・・――――



腰にくる、低い声は、確かに彼の弟の声だった。しかしそれは彼の知る弟の声と全く違っていた。

だが、それよりも聞こえてきた名にグウェンダルの思考は全て持っていかれていた。



――――も、やぁ・・・・っ――――



どことなく甘さを含んだ声は、確かに彼の主のもので、グウェンダルは固まったままその場を動けなくなってしまっていた。



――――・・・・んっ・・・はぁ・・・――――



――――・・・・・・・・・・・ユーリ――――



段々と荒くなる息遣い。



さすがに正気を取り戻すと、グウェンダルはわたわたと取りあえずその場を離れようとした。

自分の弟と主の情事なんて本人を知っているだけに聞きたくない。というか、あの二人はいつの間にそういう関係だったのだろうか。 確かあやつが婚約しているのは弟は弟でも末の弟だったはずなのだが。

そうこう頭を巡らせているうちにも普段とは違う、高くて、甘い声は聞こえてくる。慌てて辺りを駆け回る。

――――・・・・・あっ・・・んっ――――


だが、何処へ行ってみても声は止まない。というか、むしろ大きくなっていく。



――――やっ・・・はっ・・・・・――――



やめろっ!!やめてくれっ!!!

今にも泣き出さんばかりの勢いで、四方八方を走り回る。
だが、声は以前聞こえてくる。



ヤバイ、このままでは・・・・・



――――コンラッド、俺もぅ・・・・・――――



今まで聞いたことの無いような甘い声で主が弟の名を呼ぶ。その言葉にグウェンダルの顔が見たこともないくらい真っ青染まる。



――――いってください、ユーリ・・・・・――――



いやだぁぁぁぁぁぁ!!!



脳裏に直接響いてくる声に、無駄だと知りつつも全身全霊を込めてグウェンダルは耳を押さえた。




と、同時に、耳に響いてきていた全ての音が一瞬にして消えた。


恐る恐る手を離すと、聞こえてくるのは頭上で鳴く鳥の声だけ。



――――戻ったのか・・・・・?――――



ほぅっと肩から力を抜くと、先程までのことがまるで夢だったかのよぅなそんな気さえしてくる。



――――そうだコンラッドとあやつがそんな関係などとありえるわけが無い。――――



きっとアニシナの薬のせいで幻聴を聞いていたのだと、自身を納得させようとしたとき、 背後でがさりという音がして、もの凄い勢いで振り返った。


「こんなところにいたのですか。」
「・・・・・・アニシナ。」

思わず声が強張る。

「実験は終わったのか。」
「いえ、まだです。」

アニシナが実験の途中で部屋から出るなど珍しい。思わず不思議な表情を浮かべると、それを察したようにアニシナは言った。

「最終段階がまだ残っているのです。」

そう言うなり、アニシナはグウェンダルの背中に手を伸ばした。


「な、何をするっ!!」


すぐさま体を離し、振り返ると、その手にはボタンくらいの大きさの何かが握られていた。


「なんだ、それは」


何時の間に付けられていたのかと疑問に思いながらそう口にする。

「超小型聞き取りくんです。これには今日貴方が聞いたこと全てが録音されているのです。 一体どれだけの範囲の音がひろえたかどうか知る為にも、」


アニシナの説明が終わる前にグウェンダルはその手の中の聞き取りくんを奪い取っていた。


「何をするのですかっ!!」
「これは駄目だっ!!」

その言葉にキッと幼馴染の方を睨むと、真っ青な顔をして聞き取りくんを握り締めている。

「・・・・・・それが無いと実験は終了しません。さぁお貸しなさいっ!」
「駄目だっ!!」

聞き取りくんを後ろ手に握り締めてじりじりと後ずさる。

長い経験からこういうときの幼馴染はてこでも動かないことを知っている。


「・・・・・・・分かりました。貴方がどうしてもそれを渡さないと言うのなら、明日は一日私の実験に付き合ってもらいますからね。」


最後の脅しを告げる。


真っ青な顔をさらに青くしながら、しかし、グウェンダルは頷いた。


「分かった・・・・・。」


こんなことをアニシナに知られればどんなことに使われるか分からない。

ぎゅっと聞き取りくんを握り締め、弟の為に身を挺する彼の姿は眩しかった。





次の日、アニシナの実験室からは一日中悲痛な叫び声が止むことは無かった。


フォンヴォルテール卿グウェンダル。長男。彼の受難が止むことはまだ当分なさそうだ。




NOVEL