なるべく音を立てないように鍵を回し、静かに開けたドアの隙間からそーっと体を滑り込ませる。
と同時に玄関の明かりがぱっと点き、目の前に大きな人影が現れた。
「こんなに遅くまで何をしていたんですか?」
「な、直江・・・・。」
いつもより低い声に、細められた瞳。
明らかに怒っていると分かる表情に高耶は今更ながら今日の行動を悔いた。
朝、学校へ着くなり高耶は携帯を忘れてきたことに気がついた。
しかし、普段そんなに使うこともないので別段気にせず、
そのまま授業を受けていたのだが、帰り際急に譲から放課後遊びに行こうと誘われ、明日は休みだしまぁ早めに帰ればいいだろうと思い軽くオッケーしてしまった。
これが悪かった。
授業が終わった後約束の場所へ行くと既に数十人が集まっており、この時に実はこの集まりが少数のものではなくかなり大規模なものであると言うことを知った。
ここからが大変だった。
普段あまり話したことのない人たちが次から次へと話しかけてきて、とても時計を見る余裕も
抜け出す隙間もなくて、あっという間に時間が過ぎて行き、直江が帰る前には帰れるだろうと思っていたのだが、ふと気がつけば10時を過ぎていた。
慌てて連絡をしようとしたが、携帯を忘れていたことに気がつきウダウダしているうちにまた人に囲まれ、
結局その人込みを逃れそこから抜け出すのに数時間かかり、ようやく家に着いた頃にはすでに日付が変わっていた。
直江が寝ていることを祈ってできるだけ物音を立てずに入ったのだが、・・・・やはり甘かった。
「今何時か知っていますか?」
「・・・・・じゅ、12時半くらいか?」
「12時40分です。一体何をしていたんですか?遅くなる時は連絡して下さいって言いませんでしたか?」
「それは!」
「一体私がどれだけ心配したと思っているんですか!!
そもそもあなたは自分の魅力を全く理解していない!」
「だからっ!」
「いつ、誰があなたに言い寄ってくるか気が気ではないのに!そもそもこんな夜中まで一体誰と会っていたんですか?!!
もしかして私に言えないような人なんですか?!!」
高耶に弁明の余地さえ与えることなく、延々と文句を言い続ける直江にプツンと高耶の頭の中で何かがキレた。
「うっせーっ!!いいじゃねぇかよ!ちょっと連絡すんの忘れたくらいでいちいちそんなに文句言わなくたって!
だいたいなんでいちいちお前に出かけるって連絡しなっくちゃいけねぇんだよ!俺はもう大学生なんだぞ!!」
反撃を予想していなかったのか、直江が驚いたように目を瞠る。
「別に俺が誰とどこでなにしてようが関係ないだろっ?!!遅くなっちまったけど・・・・こうしてちゃんと帰ってきたわけだし。
なんでそんなに文句言われなくっちゃいけないんだよ!!別にやましいことしてるわけじゃねぇのに!!そんなに俺は信用ないのか?!!」
「・・・・・・・・・。」
「聞いてるのか、直江!」
ぎっと直江を睨み付けるが、直江は黙ったまま、動こうとしない。
「・・・・・・直江?」
「つまり・・・・あなたにとって私の心配は重いということですか?」
「え?」
突如言われた言葉に一瞬思考が止まる。
「分かりました。もうこんなことは二度と言いません。すいませんでした。」
「ちょ、おい、直江!!」
小さく礼をすると、高耶に弁明の機会さえ与えずにそのままスタスタと自分の寝室へと入りバタンと戸を閉めた。
「お、怒らせちまったのかな・・・・・。」
静かに閉じられた寝室の扉を見つめる。
「べ、別に俺が悪いんじゃねぇし。」
そう言いつつも早速ああ言ってしまったことを高耶は後悔した。
次の日。
不運なことにまたしても帰り際譲に捕まってしまった高耶は再び出かけることになった。
しかし、今度は携帯を忘れていなかったので、直江にしっかりと連絡を入れることができた。
(俺だって、携帯さえありゃちゃんと連絡するんだよ。)
trrrrr・・・・・・
『はい。』
「あ、直江?俺だけど。」
『高耶さん?どうかしましたか?』
普段と変わらない直江の声色に、無意識の内にほっと胸を撫で下ろす。
「いや、あの、その今日も譲に捕まっちまって。断りきれなくてさ・・・・・その、遅くなるから。」
『・・・・・・・・・・・。』
「直江?」
『そうですか。分かりました。私のことはきにせずゆっくりしてきてくださいね。』
「え?」
『夕飯はどこかで食べてきますので気にしないで下さい。それじゃあ。』
「あ、ちょ、まて!」
『なんですか?』
「いや、その・・・・・。」
『・・・・・・・・用事がないならきりますよ。今仕事中なので。』
「!・・・・・そうか。邪魔して悪かった。じゃあな」
「なんだよ、直江のやつ。」
今まではどんな時間に電話しても高耶の方から仕事してるのか?と聞くことばかりで、直江のほうから仕事中だということは言われたことがなかった。
つまりあれは、
(明らかな直江からの拒絶・・・―――――。)
「何だよ、まだ怒ってるのかよ。」
(ちぇ、そっちがその気ならこっちだって・・・・・――――!)
そうは思うが、明かりの消えた携帯を見てそんな気持ちもすぐに失せてしまう。
数分後意を決したように顔を上げると高耶は、親友の元へと足を進めた。
「わりぃ、譲。今日やっぱ行けねーや。」
「えーなんでだよ!皆高耶が来んの楽しみにしてんのにさ。」
「わりぃ。」
俯きながら高耶が謝る。その様子がいつもと違うことに気がついて譲は声色を変えた。
「高耶・・・・・なにかあったの?」
「え?・・・・いや、別になんにもねぇけど?」
「そう?・・・・・・・分かったよ。皆には俺から言っとくから。気をつけて帰れよ。」
「あぁ。悪いな。じゃあ。」
小さく手を振って背を向ける。
(別に俺が悪いって思ってるわけじゃねぇけどさ・・・)
そう思いつつも、学校を出ると高耶は近くのスーパーへと足を進めた。
(たまには、直江の好きなもんでも作ってビックリさせてやっかな)
「よっしゃー、完璧っ!!」
普段は和食が並ぶ机の上には珍しくたくさんの洋食が並んでいる。
「あとは、直江の帰りを待つだけだな。」
時計を見ると、既に帰ってきてもいいころあいだ。
もうすぐ帰ってくるであろう直江を待ち、一人椅子に座る。
コチ コチ コチ
静かに時計の秒針が時を刻む。
「遅いな、直江のやつ。」
いつもならもう帰ってくる時間はとっくに過ぎている。
仕事がたてこんでいるのだろうか。
「そうだ、帰ってきたとき疲れてるかもしれないし風呂でも沸かしといてやろう。」
いそいそと席を立ち、風呂場へと向かう。
コチ コチ コチ
すっかり冷めてしまった夕飯を前に、高耶はそっと時計を見上げた。
既に高耶が帰って来てから数時間が経ち、日付も変わってしまった。
(なんで、こんなに遅いんだよ・・・っ!)
仕事が遅くなる時いつもは連絡してくるというのに。
「まさか、俺が昨日あんなこと言ったから・・・・。」
高耶が自分の考えに言葉を失った時、玄関の扉がガチャリと開きようやく待ちに待った姿が現れた。
「高耶さん?」
この時刻に高耶がまだ起きていたことに驚いたのだろう。
直江は高耶の姿を目に留めて目を瞠った。
「まだ起きていたんです」
か、と言おうとして直江は息を止めた。
「た、高耶さん?!!!」
見ると、高耶の瞳からつっと一筋の涙が零れるところだった。
「ど、どうし」
「直江・・・。」
オロオロと歩み寄ってきた直江の服をぎゅっと握り締める。
「高耶さん?」
「もう・・・・帰ってこねぇのかと思った。」
ポスリとその胸に顔を埋めて呟く。
「ごめん。俺昨日何も考えずにあんなこといって・・・。」
ぎゅっと服のすそを掴んだままの高耶に、優しく腕を回す。
「いいえ。私も昨日あなたに言われてようやく気づきました。自分がどれだけあなたを束縛し、あなたの自由を奪っていたかを。」
「なお・・・・っ!」
ばっと顔を上げた高耶に小さく首を振りながら無言で制する。
「今夜もきっとあなたの姿を見てしまったら何か言ってしまいそうな自分が怖くて、帰る時間をずらしたんですが・・・・・・裏目に出てしまったようですね。」
そう言ってすっと高耶の涙を拭う。
「すいません。あなたにこんな心配させてしまうくらいなら、ちゃんと連絡すればよかった。」
その言葉に小さく首を振る。
「違う。俺があんなこと言ったのが悪かったんだ。本当はお前に心配されるのは・・・・・そんなにイヤじゃない。」
「高耶さん。」
目を瞠る直江を上目遣いに見上げる。
「ごめんな、直江。」
「いいんですよ。それにあなたを縛りすぎていたという事実は本当ですし。」
そう言うと直江は静かに高耶の口唇に口付けた。
「あなたを愛しています。」
きつく高耶を抱きしめながら耳元で囁く。
「俺も。お前に今日遅くなるって言って何も言われなかったとき・・・・・少し寂しかった。」
そう言って自分の方からも直江の唇に口付けた。
深夜。
疲れ果てて、ベッドに入るなりそのまま眠りに落ちてしまった高耶を見つめる。
少し泣いたからであろうか、閉じられた瞼は少し赤く腫れているように見える。
(少しやり過ぎたか・・・・?)
先ほどは言わなかったが今日何の連絡もせずに帰宅したのには、少なからず昨日の高耶の言葉が原因であった。
何でそんなに心配するんだ、という高耶の言葉に、ならば高耶は自分が遅くなっても心配しないのかと試す気持ち半分、心配な気持ち半分で連絡せずにいつもより遅く帰宅したのだが。
(まさか高耶さんが泣くなんて・・・・・・。)
いくつかは予想していたとはいえ、あれは予想外だった。
申し訳ないと思うけれど、どこか嬉しい気持ちがあるのにも嘘はつけない。
すやすやと寝息を立てながら眠る愛しい人の髪を優しく梳く。
(こうなったら明日は高耶さんのためにも早く帰宅して夜はゆっくりと過ごさねば!)
小さく意気込むと、直江はごそごそと布団の中へともぐりこんだ。
愛しい人をその腕の中に抱きながら。
これもちょっとした二人の日常・・・・―――――。