「本当にごめん! すぐ帰るからさ。」
「いいんですよ。私のことは気にしないで楽しんできて下さい。」
申し訳なさそうに後ろを振り返る高耶を、微笑を浮かべて直江は送り出した。
一人きりになり急速に静まりかえったリビングで小さく溜息を付くと、直江はどさりとソファーに座り込んだ。
今日は7月23日。本当ならば二人きりでじっくりと誕生日を祝う予定だったのだが、
前日になって急に高耶の大学の友人達が高耶の為にパーティを開いてくれると言ってきたために、
最初は行かないつもりでいた高耶であったが、休日とあって参加する友人がほぼ大学のクラス全員に達してしまい抜けられなくなったのと、
直江が、行って来てもいいですよ。と言ったのがきっかけにしぶしぶ家を出て行った。
脳裏に浮かぶのは、すまなそうに部屋を出て行った高耶の後ろ姿。
あの時は平気な顔をして見送っていたが本当ならば行かせたくなかった。
しかし、彼と一緒に暮らすようになって、
彼が大学の友人達の誘いを自分の為にしばしば断っていたことを知っていたから、行かないで下さい、
なんて言えなかった。自分の為に彼に無理をさせたいわけじゃない。
一緒に暮らすことが彼の苦痛となることだけは避けたかった。それでも・・・・・、
「やめよう。」
次々と浮かんでくる後悔の念を振り切るようにそう呟くと、直江は視線をカーテンの隙間から外へとやった。雲ひとつない青空が広がっている。
「外にでも出てくるか。」
少しでも気を紛らわせようと、直江はソファから立ち上がった。
外に出ると、すぐに強い日差しが襲ってきた。それに少し眩しげに目を細めると、直江は目的もなくただ歩き始めた。
どれほど歩いただろうか。、ふと隣にさしかかった店のウインドウの中から何やら騒ぎ声が聞こえてきて、
直江は思わず足を止め中を見た。そして、思わず見たその光景に息を呑んだ。
「!」
そこにいたのは、顔を真っ赤にしながら友人の首に腕を巻きつけたりしながら、じゃれあっている高耶の姿だった。
思わずそこに足を踏み入れようとしたが、思い直したようにすぐにその足は止まった。
そしてそのままもと来た道を戻ると、直江は無言のままマンションへと引き返した。
部屋に着くなり電気もつけずにどさりとソファに座り込んだ。脳裏に浮かぶのは普通の学生のようにはしゃぐ高耶の姿。
(彼のあんな姿久しぶりに見たな)
元々あまりそう言った表情はしなかった高耶だが、それでも気の知れた相手には少なくともああ言った風にじゃれることがしばしばあった。
だが、思い返してみると最近は彼のそう言った姿を見ていないような気がする。
(彼から表情を奪っているのは・・・・俺か?)
チャイムの音が室内に響き渡り、直江は目を開いた。
(眠っていたのか)
ふと視線をやると、カーテンの隙間から覗く空はほんのり暗い。時計を見ると時刻はちょうど午後6時を回ったところだった。そこで再び玄関からチャイムの音が鳴り響いた。
(誰だ?)
気だるげに立ち上がると、玄関の扉を開けた。
「や、直江。」
「た、かやさん・・・・・・」
予想外の姿に直江は目を瞠った。確か帰りは夜遅くなると言っていたのに。
「ちょっと早目に抜けて来たんだ。もう何の目的で集まったのか忘れるくらいみんな騒いでてさ、バレなさそうだったからこっそり帰って来たんだ。・・・・・・・直江??」
予想と違う直江の様子に、高耶は訝しんで声を上げた。
「どうしたんだよ、直江。」
ひょこっと高耶がその顔を覗きこむと、力強い腕が伸びていて、そのままぎゅっと抱きしめられた。
「直江?!」
高耶が驚いた声を上げるが、直江はただ何も言わずにその肩に顔を埋めた。
「どうしたんだよ?」
「・・・・・・俺と暮らすのは苦痛ではありませんか?」
「なっ?!」
肩に顔を埋めたまま、呟かれた言葉に高耶が驚きの声を上げる。
「あなたにはあなたの生活がある、あなたが望むならこの家を・・・・・・出て行っても構いませんよ。」
「何言って!」
表情を読み取ろうともがくが一向に腕は振り解けない。
「私には私の。あなたにはあなたの生活があるということです。」
その言葉に、高耶はピタリと動きを止めた。
「・・・・・何だよ、それ。」
低くなった声に、直江がそっと手を離す。
「俺が迷惑だって言いたいのか。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「どうなんだよっ!!!」
正面に向き合い、キッと睨みつけるが、直江は視線を合わせようとせず、ただじっと下をみつめたままだ。
数秒間の沈黙の後、くるりと高耶は背を向けると、ドアノブに手をかけた。
「・・・・・俺は、お前と誕生日を過ごしたいから帰って来たんだ。でも、お前が嫌だったんならいい。」
「・・・・・・・・っ!高耶さんっ!!」
扉が開くと同時に、直江はその背を抱きしめた。
「離せっ!!!」
「離しません。」
ジタバタとしばらくの間もがいていたがその手が外れないということを知ると、高耶はふっと力を抜いた。
「・・・・・・俺が邪魔だったんなら、一緒に住もうなんて言わなきゃ良かっただろ」
「それは違いますっ!」
「じゃあ俺が嫌いになったのか。」
「違います。俺があなたを嫌いになるなんてそんな事あるはずがない。」
「じゃあ何で、」
「・・・・・怖くなったんです。貴方が俺のことを嫌いになって、ここにいることを苦痛と感じるようになってしまうんじゃないかって、」
だから、と言って直江は抱きしめる手に力を込めた。
「それならば先に、あなたが俺を嫌いになる前に、あなたを俺の元から離したほうがいいのではないかと、そう思ったんです。」
「お前は、俺の気持ちがその程度だと思っていたのか。」
その言葉にピクリと直江の肩が揺れる。
「そんなすぐに嫌いになってしまう程の軽い気持ちで、ここに来たと思っているのか。」
「ここが苦痛になるような場所なら、ここに来る前にやめてる。俺は、ここにいたいからいるんだ。お前といたいから。
そんな俺が信じられないなら・・・・・お前の言うとおりここを出て行く。」
そう言って、再びドアノブに手を掛けようとしたので、直江はぎゅっと高耶を抱きしめそれを阻んだ。
「すいません。 俺が間違ってました。謝りますから出て行くというのは取り消して下さい。」
「・・・・ふん。で、一体どういたんだよ。こんなこと言い出すなんて何か理由があるんだろ?」
「いえ、ただ今日あなたが友達と楽しそうに話しているのを偶然見かけまして、
俺と暮らすことが、あなたの負担になっているのではないかと、そう思ったんです。」
「ばっかだな、そんな事あるはずないだろ。でも、俺今日はそんな楽しそうな顔してた記憶ないぞ。アイツらただバカ騒ぎがしたいだけで、誰も俺に気なんて留めてなかったし。」
「していたじゃないですか、首に手なんか絡み付けて。」
その答えに高耶の眉がぎゅっと顰められる。
「・・・・・・それいつだ?」
「えっ? 確か、お昼ごろかと。」
「それは多分・・・・・・お前の話をしてたんだ。」
そう言うと、顔を真っ赤に染めながらポツリポツリと高耶はその時のことを話し始めた。
「仰木、なんか首のとこ虫に刺されてるぞ。」
「えっ?どこ?」
「ばっかお前、そりゃ虫さされじゃなくてアレだよ、アレ。」
ニヤニヤと友人の一人がそう言うと、高耶が何か言う前に、周りから女子の喚声が上がった。
「えーっ?!!仰木くん彼女いるの?!!」
「知らなかったのか、お前ら。実はな仰木にはむっちゃかっこいい年上のかれ・・・・」
「黙れ武藤っ!!!!」
顔を真っ赤にしながら、高耶は武藤と呼ばれた男の首に手を回した。
「わっ!!ギブっ!!ギブだってば仰木っ!!」
「・・・・・・そうだったんですか。」
一通りのことを聞いて直江はほっと息を吐いた。
「大体今日のだって本当は行く気なかったのに、行ったほうがいいってお前が言ったから行ったんだぞ。」
「・・・・・・高耶さん。」
「メシ食ってる時も、友達と話してる時もずっとお前のことばっかり考えてた。でも、お前のお陰で楽しかったよ。ありがとう、直江。」
「高耶さんっ!!」
少しはにかんだ様に笑う高耶を抱きしめながら、直江はそっとその唇にキスをおとした。
「んっ・・・・・・。」
段々と口付けが深くなっていくのに従って、背中に回された手が段々と下へ降りていく。
「ま、待て! お前明日仕事だろ?!」
顔を真っ赤にして、焦ったような声を上げると、にっこりと笑う直江がいた。
「大丈夫ですよ。 有休もたくさんありますから。」
「・・・・・・・・・いいのかよ、それで。」
「明日は二人でゆっくり過ごしましょう。今日の分も。」
それに言葉には出さずに小さく頷くと、二人はそっと唇を合わせた。
「お誕生日、おめでとうございます。」
「ありがとう、直江。」
夕闇が差し込むその部屋からは、微かに夏の香りがした。