「藤原、俺と付き合わねぇ?」
突然言われた啓介の言葉に、拓海は何も言えずに数秒間固まった。



― 薄れゆく記憶の中で 1 ―





バトルに勝った興奮の熱が冷めぬ中、拓海は一人はしゃぐ皆の輪から外れて、ハチロクに背を預け空を見ていた。

――ここ最近、どうも調子が悪い…。

今日勝てたのも、正直ギリギリだった。
そういうのが顔にも出ていたのか、バトルが始まる前涼介さんに「何か悩みでもあるのか?」と聞かれてしまった。
心配してくれた涼介さんには悪かったけれど、自分でも原因が分からないのだから答えようもなく、ただ首を横に振ることしか出来なかった。

――どうしたんだろ、俺…

遠くに皆の笑い声を聞きながら、溜息をまた一つ吐く。

この状態になってから、まず集中力がなくなった。
以前はステアリングを握れば大半のことは忘れて、走ることだけに集中することが出来たのに今は車に乗っても、いや、車に乗るとさらに集中力がなくなってしまった。
それから、常に吐き気のような胸の痛み付きまとうようになった。


「何か、悪い病気だったらどうしよう……」

今も鈍い痛みを訴える胸をぎゅっと握り締め、そう呟いた時、
「病気がどうしたって?」
「啓介さん!」
突然暗闇の中から現れた啓介に驚いた声を上げる。
てっきり向こうから聞こえる笑い声の中にいるものだと思っていたのに。

「お前もしかして何かの病気なのかっ?!」
「あ…い、いえ俺じゃなくて…お、親父の知り合いです」
とっさに嘘をついてしまったが、その言葉にあからさまに啓介はほっとした表情を浮かべた。
「そっか……良かった」
「………」
何故か笑う啓介の顔が見れずに、黙って俯く。

そんな拓海の姿をしばらく見つめた後、啓介はゆっくりと口を開いた。

「………なぁ、藤原。俺と付き合わねぇ?」
「は?」
思わず顔を上げる。
真剣でも、ましてや笑いもせずに啓介がこちらを見つめていた。

「…………ど、」
「どこに? とかベタなこと言いやがったらぶん殴るからな」
「………」
啓介の言葉に、言おうとしていた言葉を飲み込み、黙り込む。

(……何言ってるんだ、この人)

真意を読み取ろうと見つめたその目がどこかいつもと違っていて、居心地悪げに拓海は視線を逸らした。
「……なぁ、お前俺のこと嫌い?」
「……嫌い……ではないです」
ホッとしたような啓介の溜息が聞こえた。
「じゃあさ、俺と付き合えよ」
「………」
拓海は何も言えずに俯いた。
静寂が辺りを包む。

「藤原」

名前を呼ばれ、恐る恐る顔を上げると、思ったよりも近くに啓介の顔があった。

「俺と付き合えよ」

啓介の言葉に、気がつくと拓海は首を縦に振っていた。


+++++++++++++++++++++



――なんであの時、頷いたんだろう……

啓介と付き合うことになった日のことを思い出し、拓海はゴロリと寝返りを打った。
その拍子に、ズキリと胸に鈍い痛みが走り思わず眉を顰める。


あの日から一ヶ月が過ぎていた。
しかし、これと言って二人の関係が大きく変わるようなことはなかった。

この一月の間に、2度ほど二人で出かけるということもあったのだが、昔以上に会話が続かず、ほとんど無言のままだった。
それでも最初の頃は、毎晩啓介から電話がかかってきていた為「付き合っている」ということが感じられたのだが、最近は、
「……連絡もないし」
ベッドの隅に置かれた鳴らない携帯を見つめる。


――今日で何日あの人の声を聞いていないんだろ…。


こんなことになる前は、別に電話が鳴らなくても気にもならなかったし、胸も痛まなかった。

「どうして俺、あの人と付き合ったんだろ…」
零すようにそう呟くと、また胸が小さく痛んだ。


――何気なく話せていたあの頃に戻りたい…


拓海がそう心の中で呟いた時、携帯の着信を告げるメロディが流れた。


+++++++++++++++++++++


「よぉ」
車から降りるなり、『秋名山にいるから』とだけ言って切った電話の主は、現れた拓海の姿に、驚きも喜びもせずにそう言って手を上げた。
「………なんですか、こんな時間に」
何故かそのいつもと変わらない態度が腹立たしくて、つい怒ったような声になってしまった。

「………用がなきゃ呼んじゃいけねぇのかよ」
急に低くなった啓介の声に、ビクッと体が震える。

「………なぁ、藤原」
「……なんですか」
どこかいつもと雰囲気が違う啓介に違和感を感じながらも、答える。
「お前さ…俺のことどう思ってんの?」
「………」
啓介の言葉に、拓海は黙った。
「俺さ…最初は、お前がどう思っていようと嫌いじゃないなら、付き合ってく内に少しは俺のことも好きになってくれるんじゃないかって、そう思ってたりもしてたんだけどさ」

「やっぱ…自分のこと好きじゃねぇ奴といんのは辛い」
ズキッと胸に痛みが走る。

「お…れは……」
喋ろうとすると何故か言葉が震えた。
どう思っているかなんて、自分でも分からない。
嫌いじゃないのは本当だった。でなければ、一ヶ月も付き合ったりはしない。

でも、今は


――あの頃に戻りたい……


「俺は……啓介さんといると苦しいです」
小さく呟くように言われた言葉に、しばらく無言でいた後、
「………そっか」
と言って啓介は俯いた。


++++++++++++++++++++


『啓介さんといると苦しいです』

信号が赤になり車が停車するや否や、先ほどの言葉を思い出して啓介はステアリングに額をぶつけた。
半ば想像していた言葉だったが、実際に言われるとやはりかなりきついものがあった。

この一ヶ月は自分にとって天国のようであり地獄のようでもあった。
初めの頃は、ほとんど無理矢理と言っていい手段だったが、それでも「付き合ってくれ」 という言葉に頷いてくれたことが嬉しくて、電話もしたし、いろいろと遊びにも誘った。

けれど、いくら電話しても向こうからかかって来ることはなく、 どこかに遊びに誘ってもことごとく断られ、ようやく行けた2回もほとんど目も合わせられず、 会話らしい会話もなかった。
しかもたまに話をしたと思えば、

「……アニキの話ばっかりだし」

どれほど打たれ強い自分でも、さすがにへこむ。 
しまいには、電話をするのも、遊びに誘うのも出来なくなってしまった。


「俺といると苦しい、か…」

その空気は薄々感じていた。
第一この一ヶ月藤原の笑った顔を見たことがなかった。

それでも離せなかった。
今も、本音は引き返したくて仕方がない。


初めて本気で好きになった相手だった。初めて本気で付き合いたいと思った。


「どうすればいいんだよ…」
呻きながら頭を抱えた瞬間、後ろからのクラクションにハッと我に返る。
見ると、いつの間にか信号が赤から青へと変わっていた。
思考が中断されたことに、苛立ちながらもアクセルを踏みこんだ、その時、
「!」
対向車線から一台のトラックが飛び出してきた。そして、

甲高いブレーキ音が周囲に響き渡った。



(09.2.7)


頑張れ啓介!



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