― 薄れゆく記憶の中で 4 ―





肋骨数本と頭部打撲、その他すり傷などの裂傷を負っていた啓介は、全治一ヶ月と診断された。


「具合はどうだ?」
「アニキ!」
ガラリと扉が開き、そこに現れた姿に啓介の目が輝く。
「すまんな、本当ならもう少し早く来たかったんだが、今日提出のレポートがあってな」
「別にいいよ、んなこと気にしなくて。 ただ、退屈でさ…」
「だろうな」
家でゴロゴロしているよりも、外を走り回っている方が好きだった弟には、一日中病院のベッドの上にいるというのは、拷問のようなものだろう。

「あー、早く車触りてぇ」
「あと一月の辛抱だ。それまではゆっくり体を治せ」
「ちぇっ」
拗ねたように呟く啓介に、涼介はほっとしたように笑みを浮かべた。

「……お前が無事で本当に良かったよ」
「………」
しんみりと言われた言葉が、どこか気恥ずかしくて啓介は照れたように顔を背けた。
「アニキは大げさなんだよ」
「お前は、自分が一体どれだけ周りを心配させたか分かってるのか?」
「う゛っ」
「特に、」
藤原、と続けそうになり涼介はハッと口を噤んだ。
「アニキ?」
「あ、いや…なんでもない」
「………」
「………」
どこか気まずい空気が流れ、お互いに黙り込む。


「あのさ、アニキ…」
「なんだ?」
沈黙を破るように啓介が尋ねた。
「昨日言ってたことなんだけど…」
「………」
「“あいつ”って、」
「すまん、啓介」
「へ?」
突然謝られ啓介の目が丸くなる。
「昨日のことは忘れてくれ。 俺の勘違いだ」
「勘違いって…」
「……すまんな。 そう言えばお前のことを史裕に言うのを忘れていたな」
そう言うと「ちょっと連絡を入れてくる」と言い残し、涼介は席を立った。



「なんなんだよ、一体」
閉められたドアを見つめながら、啓介は苛立たし気に呟いた。
「勘違いって…」
あんな顔で言っておいて勘違いはないだろう。
「………」
しばらく思案するように顔を伏せ黙り込んだ後、啓介は何かを思いついたように顔を上げた。

「……よし」


++++++++++++++++++++++



「いつまで黙っていればいいんですか」
啓介の病室を出るなり、涼介は啓介の担当医の元に来ていた。

「そうですね…」
考え込むような医師の態度に、涼介の眉が不快そうに歪む。
「いつまでも黙っていられるものではないと思うのですが」
「まぁ、そうなんですが…。 とりあえずは容態が落ち着くまでは待って下さい。 突然記憶がないと言われてパニックを起こす可能性もありますし」
「弟はそんなに弱くありません」
キッパリとした涼介の言葉に、医師が面を喰らったような顔になる。
「ま、まぁ例えそうであったとしても、せめて一週間は様子を見てください。もしかするとその間に記憶が戻るという可能性もありますし」
「………」
「今はとりあえず体を治すことのみに専念させて下さい」


++++++++++++++++++++++



「……はぁ」
部屋から出るなり涼介は息を吐いた。
医師にはああ言ったが本当は自分でも分かっていた。

記憶がないと知ったら、パニックまではなりはしないだろうがあの行動派の弟がじっとしているわけはない。
もしかすると病室を抜け出す可能性だって考えられる。

けれど、拓海のあの表情を間近で見ていただけに、何も気にせず黙っていることも出来ないのだ。

「……どうしたものかな」

疲れたように涼介が呟いた時、ふと隣に人が立っていたことに気づき、そちらに視線を向けた瞬間、

「…けいすけ」
「………」
そこにいた姿に息を呑む。

(まだ院内を歩き回れる程回復していないはずだが…)

「…聞いていたのか」
問いかけると、啓介は呆然とした表情のまま呟いた。
「俺が…記憶喪失?」
「………」
「冗談だろ? アニキ」

啓介の言葉に涼介は諦めたように口を開いた。

「……今日は何年の何月何日か言ってみろ」
「え?」
涼介の質問に一瞬思い出すように間を空けてから答える。
しかし、啓介の告げた日付に涼介は緩く首を振った。

「違う。それは2年前だ」
「にねん…」
目を見開いたまま、啓介が固まる。
「これがお前が知りたかったことだ」
「………」
「まぁ、それ以外のことは覚えているし生活するのに支障はないだろう。 ゆっくり思い出せばいい」
「あ、あぁ…」
まだ呆(ほう)けている様子の弟の肩を軽く叩く。
「ほら、部屋に戻るぞ。 まだ、歩くのも辛いくせに盗み聞きをする為にこんなところまで来るとはな」
「それは…っ! 黙ってるアニキが悪いんだろ?!」
「そうだな。 お前がこんな無理をするなら最初から言えば良かった」
「………悪かったって」
ギロリと睨まれ、思わず謝る。
「教えてやったんだから、これで大人しくしてるんだぞ」
「あぁ…」
涼介に促され、病室へ足を進める。

先ほどまではギプスで固定されているとはいえ、歩くたびに鋭い痛みが胸部に走ったが、 意識が別の方へいっているのか、不思議と痛みを感じなかった。


(俺が記憶喪失……)



(09.2.15)


なかなか思うように進まない…;;
そして拓海が出てこなかった……。次回はいろいろ出します。


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