魔鏡~遠い地で俺は再びキミに恋する 3~




「・・・・でこれがその原因と思われる鏡って言うわけだ。」

鏡の縁を辿りながら、村田健こと、大賢者は彼にしては珍しく眉を顰めた。

「げ、猊下、どうでしょうか? やはり、その鏡が?!」
今にも鏡を壊さん勢いでギュンターが問いかける。ユーリが城内から消えて既に五時間が経っていた。
「まぁ、まず間違いないだろうね。わずかに渋谷の魔力が感じられるし。」
「あぁっ!何と言うことでしょうっ!!陛下が、私の陛下が・・・っ!!」
「まぁ、渋谷が誰のものかどうかはあとにして、とにかく落ち着いてくれフォンクライスト卿。・・・少しマズイことになった。」
「ど、どういうことですか?!」
「・・・以前渋谷が魔鏡に吸い込まれた時のことを覚えているかい?」
「えぇ。陛下のお話ではどこか違う時代に行っていたとかで・・・、それとなにか関係があるのですか?」
 コクリと深く村田は頷いた。
「これは・・・、この鏡は、あれと対になっている物なんだ。ただ違うのは、あれはその者の魂だけを運ぶのに対して、この鏡はその者の体ごと時空を移動させるんだ。」
「そ、そんなことが可能なのですか?」
「出来るんだよ、だからこれは魔鏡と呼ばれている。でも、使いこなすのにはかなりの魔力が必要とされる。歴史の中でこれを使いこなせていたものは片手で数えられるほどだ。」
「それで、何がマズいんですか?」
その言葉に、浮かべられていた眉間の皺が深くなる。
「・・・・この鏡を使うのには大量の魔力が必要とされる。それはもちろんあっちに行っている間もずっと。」
「ということはっ・・・!!」
「そう、もし渋谷が全ての魔力がなくなる前にこっちに帰ってくることが出来なかったら、その時は・・・・。」



「どうなるんですか。」



先程から一言も口を出さなかったコンラッドが何の感情も篭らぬ声で問いかける。

ふと視線をその手に移した後、同じように何の感情も篭らぬ瞳で村田は言い放った。現実を。



「一生、こっちへは帰って来れなくなる。」



握り締められてすでに白くなっていた拳は、さらに白さを増した。



「・・・だから、あの鏡には結界が張られていたんだ。」
「僕は何ともなかったぞ。」
「それは渋谷が結界を解いた後だったからだ。」
その言葉を聞いてギュンターが叫ぶ。
「陛下はその鏡の存在をご存知だったのですかっ!!」
「いや、たぶん無意識だろうね。・・・まったく、無意識であの結界が破ることが出来るのは渋谷くらいだよ。」
  困ったように呟くけれども、その言葉はどこか誇らしそうだ。だが、現状が現状なだけに浮かべる表情は晴れない。



間近で繰り広げられる会話をどこか遠いことのように感じながら、コンラッドの意識はすでにそこにはなく、目の前にある鏡をただじっと見つめていた。


窓の外から見える空は既に暗くなってきている。

++++++++++++++++++


「コンラッドっ!!」
そう叫ぶと同時に彼の瞳が鋭く細められる。
「誰だ?」
あっ、と口元を覆う。



―――いけねっ、今は20年前だったんだ。―――



「いや、その、俺は、」
あわてて誤魔化そうとしている俺を怪訝な瞳で見つめた後、コンラッドの視線が頭上へと移る。

「黒?!!」
「あっ!!」

さっきまで頭の上にあった布は、今は膝の上に掛けられている。

「身に黒を宿すものが生まれたと言うことは今まで聞いたことがない。一体何者だ?!」
「えっと、俺は・・・・」
どう言おうかと頭を悩ませていると、視界の人影がぐらりと傾いた。
「コンラッドっ!!」
あわてて近寄り手を貸そうとするが、差し伸べた手は冷たく振り払われる。
「触るな。誰の手を借りるつもりもない。ほっといてくれ。」

その言葉を聞いた瞬間に頭にかぁっと血が上る。

「こんな目の前でふらふらしてるヤツほっとけるかよ!どうしてもほっとけって言うんなら怪我してんのにふらふら出歩くなっ!」
驚いた表情でコンラッドはユーリを見つめる。
「怪我してるときくらい人の手借りたって誰も文句言わないよ。こんな時くらい誰か頼れよ。」
 そう言って何か言われる前にコンラッドの手を肩に担ぐ。
「おいっ!」
「うるさいっ!傷に響くだろあんまり動くな!」
その言葉からもはや何を言ってもダメだと察したのか、諦めた様におとなしくなった。


「それでどこに行こうとしてたんだ?」
がっちりと腕を掴みながらユーリは問いかけた。
「・・・・・・丘に。」
「丘?何のために?」
「・・・・・・・。」
 その問いに一瞬にしてコンラッドの表情が険しくなる。



―――――聞いちゃいけないことだったのかな―――――



 冷たい風が二人の間を通り抜ける。


お互いに沈黙したまま二人はもくもくと丘への道のりを歩き続けた。



++++++++++++++++++




「ここは・・・・っ。」
ようやく辿り着いた丘の上には数え切れないほどの墓標が立っていた。

驚きを隠せないユーリを尻目に、無言でコンラッドは墓に向かう。


墓の前で膝を付いている表情は暗闇の為に上手く見えないが、どことなく泣いているように感じるのは気のせいなんかじゃないだろう。

「・・・・これは、戦争で亡くなった人達のお墓?」
「・・・・・そうだ。」
ゆっくりと顔を上げてコンラッドは答えた。


「アルノルドで俺が殺した、部下達の・・・。」
紡がれる言葉の一つ一つは淡々としているが、ぼんやりと暗闇に見える表情はどこまでも痛ましい。

「・・・・・・。」

ユーリはゆっくりと足を進めると、コンラッドの横の方に腰を下ろし手を合わせた。
一瞬ちらりとそちらの方に視線を移すが、すぐに元の位置に戻すと、コンラッドも同じように手を合わせた。



風は静かに木々を揺らしている。



「・・・本当は俺に手を合わせる権利なんかないんだ。」
「えっ?」
数分後、合わせた手を下ろしながらポツリとコンラッドは呟いた。
「きっと皆もそう思っているだろう、殺した張本人がどのツラ下げて来ているんだと、」
「なっ!」
「自分でも呆れるほどの神経の図太さだと思うよ。こんな奴に連いて行っていたなんて、とみんな後悔しているだろう。こんな奴について行ってしまった為に死んでしまったのだと。」
「やめろよっ!!」

叫びながら立ち上がるとユーリはコンラッドを睨んだ。

「どうしてそんなことを言うんだよ。そんな自分を責めるようなことばっかり・・・。」
「・・・・・・。」
「あんたが戦って無くした物はたくさんあるかもしれない。だけど、守れた物だってちゃんとあるだろ?!」
「本当に守りたいものが守れなくては意味がないっ!!」
その言葉にコンラッドが強く言い放った。



――――――ジュリアさんのことだ・・・・!――――――



直感的にコンラッドが今誰を思い浮かべているかが分かった。
話では聞いていたから分かったつもりでいたけれども、彼がこんなに声を荒げてまで彼女の死を悼んでいる姿を見ると胸がずきりと痛んだ。



――――――やっぱりコンラッドはジュリアさんのことが・・・・。――――――



彼の胸に揺れる魔石は確かに自分と同じもののはずなのにどこか違うもののように感じられる。
少し白みがかったように思われるその石は彼を守るように、青白く輝いている。





「・・・・何故生きているんだろう、俺は。」

先程の激昂が嘘のように、静かな口調でコンラッドは呟いた。

「あの時俺も死んでしまえば良かったんだ。」
「・・・・・・っ!!」

その言葉を聞くと同時に先程の考えは全て打ち消される。

「・・・なんでそんなこと言うんだっ。」
「・・・・・・。」
すでにコンラッドの視線の中にはユーリはうつっていない。
「なんでそんな事言うんだよっ!!」
ちらりと移した視線の先のユーリの表情を見てコンラッドは驚いた。
「死ねばよかったなんて、そんな事・・・。」
呟くユーリの瞳からは幾筋もの涙が流れ落ちていた。
「俺は・・・、コンラッドが生きててくれて嬉しいよ。俺なんかがどう思おうとコンラッドには何の慰めにもならないかもしれないけど、俺はコンラッドが生きていてくれて嬉しい。俺だけじゃない。俺のほかにもたくさんいる。」
「・・・・そんな奴、いる訳がない。」
「いるんだよ。コンラッドが生きていてくれて嬉しいって言う人が。必ず。」



脳裏を掠めるのは今のコンラッド。城下に行けば多くの人が声を掛けるし、城にいても皆がコンラッドに温かい視線を向ける。きっと誰に聞いてもコンラッドが生きていてくれて良かったとそう言うだろう。
これは、推測なんかじゃなくて、確信だ。



「あんたを愛してくれている人は、あんたが想像するよりずっとたくさんいるんだよ。だからもうそんなこと言わないでくれ。その人たちを裏切るようなことは・・・。」
消え入りそうな声でユーリは呟く。
「・・・・・・。」



――――――もぅいい。コンラッドが誰を好きだったなんて。――――――



落ちる涙を拭いもせず、ユーリは胸中で呟いた。



――――――ただ生きていてくれさえすれば。――――――



「お願いだから約束してくれ、もぅそんなことは言わないって。そんな死ねばよかっただなんて。」
ぎゅっとコンラッドの手を握り、ユーリは訴える。

浮かべる表情はどこまでも辛そうだ。



そんな様子を見ながら、コンラッドは自分の中にあった黒い塊が、目の前の少年が涙を流すごとに少しずつ溶けていくのを感じていた。



「・・・・約束する。」

この少年にこんな表情をさせるくらいなら、とコンラッドは思う。

「もぅ、二度と言わない。」

小さく呟かれた言葉にユーリはようやく笑みを浮かべた。

それは、思わずコンラッドが息を呑んでしまうほどの美しい微笑みだった。





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