第九話 ~終焉へ向けて~
「コン…ラ…ド?」
「うわぁ~~~っ!」
カランと音を立ててナイフが落ちる。
背を向け逃げ出していく男の姿が一瞬視界に写ったけれど、しかし、ユーリの意識は自分の前に立つ背へと向けられていた。
(何が…どうなって…)
急にナイフを持ったやつが現れて、避けられないと思ったから、目を閉じた。
そこまでは覚えている。
(どうしてコンラッドが…)
その時、目の前の背中が傾いたかと思うと、そのままドサリと音を立てて地面に崩れるように倒れた。
じわりと地面が赤く染まる。
「………っ!」
我に返り、慌てて駆け寄る。
「コンラッドっ!きゅ、救急車っ!!!誰か、」
叫ぼうとしたユーリを、すっと伸びてきたコンラッドの手が遮る。
「……大丈夫です。そんなに深くありませんし、」
ズキリと痛む腹部の痛みに耐え、体を起こすと、コンラッドは青い顔をしているユーリの頬へそっと手を伸ばした。
「あなたが無事で良かった」
「っ!」
微笑を浮かべながら言われた言葉にユーリの視界が涙で霞む。
―――――どうして……
頬に伸ばされた手をぎゅっと握り締める。
「……どうして俺なんか庇うんだよ」
―――――ジュリアさんのことが好きなくせに…
何とも思っていないなら、放っておいてくれればいいのに。
嫌いだと、近寄るなと、言ってくれたら、忘れることも出来るかもしれないのに。
――こんなに優しいから…。
きっと、もう、好きじゃなかった頃になんて戻れない。
湧き上がってくる嗚咽を必死で噛み殺しているユーリの姿に、コンラッドは気付くとその背に腕を回し、自分の胸元へと引き寄せていた。
「こ、コンラッド…?!」
「………」
驚いた声を上げるユーリの肩口に何も言わずに顔を伏せる。
あの時、ナイフの前に飛び出したのは、無意識だった。
避けれるか、避けれないかなどという考えはなく、ただユーリを失うかもしれないという恐怖が体を動かしていた。
―――――もう、限界だな…
ぎゅっと一際強く抱きしめると、何かが鼻腔を掠めた。
――太陽の匂いだ。
以前抱きしめた時にも、嗅いだ香り。
どうしてあの時、手を離すことが出来たのか不思議に思うほど、今この手を離したくない。
拒絶されるかもしれないという恐怖は消えたわけではなかった。
だけど、もうこの気持ちを押さえきれる自信もない。
惜しむようにその肩から顔を上げると、戸惑ったように見上げてくる漆黒の目を見つめる。
涙で輝くこの黒曜石のような瞳を見るたびに、何度も言えずに噛み殺してきた言葉を、今、ようやく言える。
「……あなたを、愛しています」
告げられた言葉に、ユーリの目が見開く。
「あの日…フェンス越しにあなたに初めて出会った、あの日。あれが始まりでした」
一目惚れでした。とコンラッドは微笑した。
「……だけど、会うたびにあなたに惹かれた」
ペンダントを拾ってくれた時。
学校であったことを楽しそうに聞かせてくれた時。
自分を〝ダブル〟だと言って笑ってくれた時。
今まで存在すら知らなかった気持ちで胸が満たされていくのが分かった。
「あなたが好きなんです」
「………」
何も言わずに固まるユーリに、コンラッドは「やはりダメだったか」と傷ついたように眉間を寄せた。
しかし、
「う…そだ……」
小さく呟かれた言葉に、コンラッドは首を振った。
ここで「嘘でした」と言う方が良かったのだろうけれど、ここまできた以上、もう、ごまかすつもりもなかった。
「嘘なんかじゃありません」
「だって……」
―――――ジュリアさんは…?
喉元まで出かかった言葉は声にならなかった。
聞きたくなかったわけじゃない。
―――――だけど、今は……
(信じたい…コンラッドを…)
「…ユーリっ?!」
そっと、傷に触れないようにその胸に頭を預け、
「俺も…」
小さく、零すように呟く。
「俺もコンラッドが好きだ…」
「!」
胸元で囁かれた言葉に、コンラッドは言葉を失う。
想像しなかった答えに、もう一度聞きたい衝動に駆られるが、
しかし次に聞こえてきた嗚咽に口を閉じると、そっとその小さく震える背に手を回し、もう一度その耳元に同じ言葉を囁いた。
「……あなたを、愛しています」
「大丈夫か?」
「えぇ。もう血も止まってますし。元々そんなに深くありませんでしたしね」
心配そうに覗き込むユーリににっこりと微笑む。
ボッとユーリの顔が赤く染まる。
あの後、どうしても病院に行くというユーリに連れられ二人は病院へ行った。
傷は確かにあまり深くはなかったが、何かあっては、とタクシーで帰るつもりだったのだが、コンラッドが平気だと言い張る為に、こうして二人並んで歩いていた。
コンラッドとしては折角思いが通じたというのに、タクシーなどで帰って早く別れるのを避けた為でもあったのだが。
赤くなった頬を隠すようにコンラッドから視線を逸らすと、「そう言えば…」と、言いにくそうにユーリは口を開いた。
「あのさ、その…刺した奴のことなんだけど……」
「ちらっとですが、初めてあなたを見た日に告白されていた奴じゃありませんでしたか?」
「よく覚えてるな!」
「忘れるはずがありませんよ」
あの日以来、何度かあの時の夢を見て、そしてそのままユーリを攫っていかれる夢を見ていたとは情けなくて言えない。
「あいつ同じ一年なんだけど、クラスは違ってて…それで…」
「どうしますか?」
ユーリの言いたいことを読み取って、コンラッドは言った。
犯人の顔は分かっている。
相手の指紋のついたナイフも一応拾ってきたために証拠もある。
警察に渡せば傷害罪、あるいは殺人未遂で罰することも可能だろう。
しかし、
「コンラッドが傷つけられたのは本当にムカツク。……けど、」
「警察に言うのは嫌、ですか?」
「…ごめん」
しょんぼりと頭を下げるユーリに小さく笑みを浮かべる。
「いいんですよ」
「本当にごめんっ!!!でも、元はと言えば原因は俺だったみたいだし……俺、」
「あなたが罪悪感を感じることは何もありませんよ。でも、分かりました。後のことは俺がなんとかします」
「え?」
驚いた顔で、コンラッドを見上げる。
「大丈夫ですよ。警察沙汰にはしません。だからといってもう二度とあなたには近づけさせませんが」
「???どうやって???」
不思議そうに自分を見つめるユーリに、コンラッドはふわりと微笑んだ。
「まぁ、任せて下さい」
「????」
次で終わるって言ったのに……。
あと一話!今度こそあと一話で終わります!